生物のプログラム


この前、「私はバイです」みたいなよくわからない自己紹介があって、何だそれと思って調べてみた。

個人的には、これは非常に珍しいことで、私は基本的に調べものをしない。

この辺りの知識にとても乏しいし、更に、日頃全く本などを読まないので、私は基本的にあらゆる知識に乏しい傾向にあるような気がする。まあ、どうでもいいか。

さて、バイというのは、...なんだっけ?

うーん、うーん。

割と本気で思い出せないのだけど、どうやらホモとか百合(アニメがきっかけでついこの間知った)関連の言葉らしく割と広めの概念らしかった気がする。あと、こういうのは差別用語なんかなあ。その辺りもよく知らないので、あまり気にしないで欲しい。私の認識では、男x男がホモで、女x女が百合というくらいの認識しかないし、後述するが、それって何か変なことなんかなあと思ってる。つまり、魅力的な人間というのは、男であれ、女であれ魅力的なのであって、魅力的な人間を好きになることが一体なぜ問題なのか私にはあまり良くわからない。なので、私個人の立場としては、ホモや百合肯定派に近い考え方のような気がしてる。まあ、専門知識を持ってる人からすれば違うかもしれんけど。

個人的にはこれらの特徴を持つ人達に対して私はあまり気にしてない、と言ったら変だけど、まあ、あまり気にしてない。

そもそもなんで外野がこういう人達を嫌ったり、嫌悪感を抱いたりするのかわからんと思っている。

まあ、生物的な子孫繁栄プログラムが原因としてあるのかもしれないとは思っているが、個人的理解の範疇にはない。

これは、バイを「何となく受け付けない」という人も多いと思うが、私の場合もその何となくだ。「何となく、どうでもいい」し、「そんなこと気にするほどのことかー」と思っている。

人には向き不向きがあって、私達には、その原因を推測し、認識することはできるが、理解できない事柄が必ず存在すると思っている。

これは主に生まれ持った気質、性質の違いや後天的に養われた多少の気質、性質というものが関係しているのだろうと思う。

さて、ここで、先天的、後天的気質について述べたが、他人を理解する上で最も大きな割合を占めるのが先天的なものだと考えられれる。後天的気質の割合は割と少ない。

反対に、原因の推測、認識のための力は、主に後天的に培われるものだと考えている。そしてそれは、先天的気質すら圧倒的に上回る総合的判断能力に関係してくるとは思っている。

なんか辺に分かりにくい話になってしまった。

要は、他者理解に必要なのは先天的気質が大きく占めるが、他者認識に必要なのは後天的努力が大きく占めると言う感じだと思う。ただし、多少どちらにおいても補助は可能であると思う。つまり、他者理解に先天的気質のみがモノを言うわけではないし、反対もしかりと言う感じか。

しかし、こういう言い方は個人的にはあまり好きではない。

なぜなら、何も言ってないのと殆ど変わらないからだ。

何も言ってないというのは、「世の中、いろいろな人がいるもんだ」みたいな。これについては、「いや、知ってるし」という全く意味のない不毛なやりとりになるだろうと予想する。

私の基本的な考え方としては、以下の様なものがあるような気がしてる。

「二人が幸せそうなら、それでいいじゃん」

もちろん、内容にもよるが、その二人が社会に害をなしたり、他人に直接的な危害を加えたりしない以外、「二人が幸せそうなら、それはいいことなのでは?」と思ってる。

それが私の考え方だ。

そして、これはあくまで何となくの領域に属するものの考え方だと思う。

思考にも領域というものがあり、いや、正確にはそのように考えたほうが他者への説明が容易というに過ぎないが、まあ、領域で考えると分かりやすいという話だ。

無意識領域で選択される思考は、先天的性質から大きな影響を受ける領域の思考であり、私のそれは多分そんな感じ。

これって多いのか少ないのか分からないが、個人的には、結構、多いと思っている。

こだわりや執着、個人的な思考が強い人でもない限り、自分に害を及ぼさない他人について嫌悪感を催す人はそう少なくはないだろうと考えている。