何事も区別なく



あなたは、その人が何を言ったかではなく、誰が言ったかで物事を判断していないでしょうか。

誰が言ったかで判断する人と何を言ったかで判断する人がいて、この性質を変容させるのは特に難しいです。

生まれながら、もしくは生まれてからほんの数年でこういった傾向は出てくるのではないでえしょうか。

あの人は嫌いだから反対、あの人は好きだから...。

こうやって物事を決めつけてしまっていることも多いですよね。

その理由は、やはり、人は感情から結論を導き出し、それが間違っているとも思ってないからだと考えられます。

でもある程度正しい判断と言うか、将来的にもある程度通用する判断というのは、好き嫌いに左右された判断でないことも多い気がします。

要は、何事も区別なく、であると思います。

何事も区別なくというのは、「何事も区別なく、心を消して考える」ということなのかもしれません。

例えば、神々と一般人の区別なく、有名人と一般人の区別なく、一般人と一般人の区別なく、自分と他者の区別なく、考える事だと思います。

最初から優先順位を付けたり、何かを崇めたり、見下したりという傾向を生まれ持つ人は、多分ですが、その人生のほとんどが間違いだったと感じる人も多いのではないでしょうか。本人はそれを認めないかもしれませんが、事実として見た場合の話。

なぜなら、この世に絶対なんてないからだと私は考えています。

なぜ将来的に間違いだったとわかることの多くが、区別したり、最初から優先順位をつけたり、その時の好き嫌いによって決めつけたりしたことなのかというと、この世に絶対なんてないからだと思います。

反対に、なぜ将来的にもある程度継続して有効に働くものが、その時の好き嫌いに左右された判断でないことが多いのかというと、これも、絶対なんてどこにもないからだと思います。

絶対と決めつけた瞬間、それはこの世界の原理から外れてしまうが故にどうあってもやがて崩れ落ちていく運命なのかもしれません。

しかし、そのことを理解した上での判断なら、ある程度長く継続させやすいのではないでしょうか。

よくわからない抽象的な話でした。

おわり。