人に優しく



人に優しく


行為と結果


「正義のヒーローに憧れていても、やがて人にやさしくできなくなる、なぜなんだ」っていう問が有名なラノベであるらしい。したがって、なんとなしに、暇つぶしに、答えを出してみます。

まあ、問い自体が個別的問題、個人的問題であり、それぞれの環境や状況によって違ってくるのだけど、最も一般的な答えは、「利益がないから」になるでしょう。

例えば、「正義のヒーローに憧れる」という行為は一体何なのだろうと考えてみてください。

...疑ってはいけません。疑うのは最後だけで十分です。と、余談を話しつつ。

さて、「正義のヒーローに憧れる」という行為、これは、「主人公が最終的にハッピーエンドを手にする」という部分が物事を捉える上での本質的重要部分になります。

例えばですが、人を優しくしたヒーローが、逆にひどい目にあい、ボロボロになり、人々に誤解され、蔑まれ、ひどい扱け、ボロクズみたいに惨めな最後に終わり、バッドエンドを迎える物語なら、あなたは、そんなヒーローに憧れを持っただろうかと考えてみてください。

私の脳内シュミレーションの結果(簡単にいえば単なる妄想)では、「それでもヒーローに憧れを持つような人は少ない」と出ています。

あれれ、おかしいなー。ヒーローに憧れを持ったことがある人って、決して少なくないはずなのに、結果やエンドが違うだけで、こうも憧れる人の数に差がでるのは、おかしいなー。

と、ギャグはここまでにして、正確には何もおかしいことなどありませんよね。

つまり、人に優しくした結果、それがハッピーエンドにつながるならば、人々はヒーローに憧れやすいということなだけです。

ちなみに、私はヒーローや魔法少女に憧れたことは、全く無かった人なので、まあ、これについても色んなタイプがいるぽいですが。

そして、「子供の頃、ヒーローに憧れを持たなかった奴は碌なやつじゃない」と考えるのもできればやめて欲しい。いや、自分がどうとか関係なくて。

ヒーローに憧れを抱いてたタイプの人は、「自分と同じ考えを持たなかった奴はダメな奴」って思考する人がとても多い気がするので、「どんどん人に優しくできなくなってくる」という認識は正しい気がします。そして、これをなぜなんだって言われても、それは生まれ持った性質によるものとしか言えない気がする。まあ、個人的な印象の話はここまでにして、次です。

話が逸れてしまいましたが、行為と結果の話でした。

ヒーローものでは、ある行為と最終的な結果が大きく結びついていることが多く、それを含めて、人は無意識のうちに、「ヒーローみたいに人に優しくすれば、最後にはきっと幸せになれる」とそう考えてしまうのだと思います。

そして、これは人間として当たり前のことですし、だからこそ、予測が立てやすい感情的、思考的傾向の一つです。

つまり、行為だけでなく、結果という要素も、人々の判断材料には、非常に重要なファクターになってるわけですね。それを認識していなくても、その変数は依然としてそこに存在している。そういうイメージ。

いや、むしろ多くの一般的な人々にとっては、結果のほうが重要ファクターなのではないかなと思います。その行為だけを純粋に評価されることは少ない。ヒーローだって、もし結果が伴わなければ、かっこ良くもなければ、あこがれの対象でもないのです。普通は。

例えば、「悪いことをすれば、ハッピーエンドが待っている」という怪盗ものの話だった場合、逆に怪盗に憧れたりする子もいるんじゃないかなあ。まあ、悪いことの度合いや描かれ方にもよりますが。

次に、現実問題を考えてみましょう。

現実問題、人に優しくしたら、ハッピーエンドで終わるでしょうか。

ハッピーエンドで終わることはあんまり無いですよね。それが目に見えた形ですぐさま自分の利益に結びつくことも少ないですし。

むしろ、人に優しくしても、良いことなんて一つもないし、裏切られ、自分が傷つくだけって考えている人も多いのではないでしょうか。

そして、歳を重ねるごとにそういうのが分かってきて、だからこそ、人々は、人に優しくすることをやめてしまうし、できないんじゃないかなって。

だから「正義のヒーローに憧れていても、やがて人にやさしくできなくなる、なぜなんだ」という問の答えは、優しくしても「利益がないから」、「利益がないことがわかってくるから」ということになります。そして、「そのヒーロー自体の行為も、その行為のみを純粋判断しての憧れではなかった。それは、ハッピーエンドという結果を含めた憧れだった」です。

私が言いたいのはこれだけ。

つまらない答え


なんか非常に長い文章になってしまいました。

答えや真実というものは、往々にして、最もつまらないものが正解な場合が多いです。

人々はそれを理解し、だからこそ私は、それについての答えを出せます。

良い悪いではなく、そこにあるものには理由があるという感じです。

例えば、結果を考慮に入れていた判断に落胆する人もいるでしょう。しかし、それは生存本能、可能性の上では正しい判断です。そして、その生存に役に立たないことを理解した段階で、それを捨てるのも、正しい判断であると思われます。

ここで、次の記事に繋がるようなことを少しでも書いておきましょう。

人は概ね、自分にとって正しい判断をする。そして、それは、思いの外つまらない判断であることが多いのです。そして、それは年をとるごとにより高度に発達していくのだろう、と。

そして、つまらない判断をしている自分を認識(無意識)し、時に、「むきー!!」ってなる人もいるのかもね、と。

思いと考え


補足として、これがあんたの私の考えなのか?と聞かれた場合の答えを述べておきます。

答えは、「んなもん、ない」です。

実は、脳内シュミレーションとそれに基づく予測は、私の個人的な考えとは少し遠い場所に位置するため、私の中ではそういう認識ではない事が多いです。

そもそも私はヒーローに憧れた口ではありませんので、その思いを汲んであげることは、残念ながらできない...というよりは、やりません。

思いは、考えと深く結びついているゆえに、私はこの件について、あまり思うことがありません。

感情的に今回出した答えを受け入れられませんか?

なら、そっちの方がよいかもしれません...。