鍛えるってこと


心や体を鍛えなければならないとよく言われます。そして、同時に、心を鍛えないと、とんでもない悲惨が待っていると脅されることもあると思います。

しかし、心が弱くても、体が弱くても、それはあなたが偉大な人間になることを妨げないと私は思います。

心が弱くても、体が弱くても、偉大な行いを成し遂げた人間や尊敬されている人は数えきれないほどいますよね。

ここで、偉大な人間というのはどんな人でしょう。

あえて定義するなら、みんなに認められている人ってことでしょうか。全員にではなく、多くの人にという意味で。

だとすれば、心や体を鍛える必要はないと私は考えます。

したがって、人は誰しも、いつでも、どこでも、だれにでも偉大な人間になる素質は既に備わっていると考えます。

要はやり方次第だと思います。

ただ、多くの人に認められている人気な人が、必ずしもあなたの想像通りとは限らないとも思います。

なので、その辺は難しいです。

実力が全くない人でも、心がねじ曲がっている人でもみんなから認められて、人気な人も多いです。

定義通りなら、この人は偉大な人間です。あなたがそうは思わなくても、他の人、大勢の人はそう考えているからです。

確かに、あなたの中にも真実はありますが、他の人の中にもそれはあります。

このように考えた場合、やはり、それは偉大な人と認識されるし、せざるを得ないでしょう。

したがって、心が弱くても、体が弱くても、人を騙すのがうまく、かつ目立ちたがり屋ならば、私は人気者で偉大ない人間になれると考えています。これは心と体を鍛えなければならないという話ではないです。

ただ、本当の偉大な人間、実力がある人間となると、どうでしょう。

これに関しても私は鍛えることが必須だとは思いませんが、しかし、みんなから認められているから偉大だとか、実力があるとかは判断しません。

私の周りを見ている限りでは、すごい人というのは、あまり注目されてないこともよくあるなあと感じます。

「なんでこの人、こんなすごいのに注目されてないんだろう?」と思うことがあります。

そんな感じなので、何者になるにしても、鍛えなければ駄目だということは、多分ないでしょう。そもそも本人は鍛えてるつもりなんてないことも多いだろうし。

おわり。