外的なきっかけ

ひらめきを得るためには、どうしても外的なきっかけや知識が必要になります。

以前の記事では、閃きは周りに漂う多くの光を繋げること、そして、一つの形を描くことに似ていると言いました。

そして、光を繋げるには、一定の知識が必要だと言いました。

こう言うと、「知識なんて必要ない」って考えられる方もいるかもしれませんので、その補足になります。

一般人が納得する形で答えから述べるなら、「何の知識も持たない赤ん坊は、何かをひらめくことがあるだろうか?」ということです。

これについては、ニュートンの話が参考になります。「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」というやつですね。

これが作り話にせよなんにせよ、閃きについての重要な一つの視点を示してくれていると思います。

ここで示されている視点は、「日常的な物事をきっかけに、これまで認識されていなかった自然界のルールを思いついた」ということ自体が重要なわけではありません。

どのような物事にも、そのまま受け取るだけでは意味が薄いです。その裏側にあるものを認識することが重要になってきます。

なぜなら、そのまま受け取るだけのことは誰でも出来るけど、その裏側を想像する人は少ないからです。

さて、多くの人は、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見ても万有引力を思いつきませんでした。林檎の木から林檎が落ちるのを見たのはニュートンだけではないのです。リンゴ農家の人達はしょっちゅう見ている光景かもしれません。

では、なぜニュートンだけが思いついたのでしょう。

その一つの要素が、ニュートンが持っている知識ではないかと考えられます。

したがって、ニュートンも一定の知識も持たなければ、思いつかなかったことかもしれません。

もう一度問いますが、何の知識も持たない赤ん坊は、何かをひらめくことがあるでしょうか?

ひらめく人間は、誰しも、一定の知識を持った人達です。その知識が直接的であれ、間接的であれ、きっかけであれ、光を繋げるためには、どうしてもそれが必要になるだろうと私は考えています。

ただし、知識があれば誰でもひらめくというわけではありません。それは第一条件に過ぎません。また、光をつなげたからと言って、それが世間的に価値がある閃きかどうかはその時点では分かりません。

世間的に価値がある閃きかどうかは、それが今までにない形を形成し、かつ、人が認識でき共有できる形でないと、世間的価値がある閃きとは認められないでしょう。

閃きとは、周りにある光をつなげ、一つの形を描くことに似ています...。

そんな感じのことを思ったのでした。
test投稿その3