周りと自分



周りは少なからず自分の心を乱し、そして、自分も周りの心を乱すこともあるでしょう。

ここで、人が取りうる行動はたくさんあります。

そして、人によって出せる答えも変わってきます。私の場合。

特にこういった問題の場合は、そういうこともあるということで。

例えば、周りの人達を見下すような性質が変えられない人には、私は、その性質を利用するのが一番良いとそう答えるでしょう。

正直、周りなんて気にする必要はないと思うのだけど、どうしてもそれをやめられないというような場合、無理に深呼吸したり、呼吸を整えようとしたりするのではなく、自身の反発精神というのかそういうのを利用するのが一番賢い方法だと思います。

つまり、「周りの人たちは、自分の心を乱そうとしている、貶めようとしている」とそう考えれば、反発性新旺盛な人は、その逆をやろうとします。なんとしてでもその思惑に嵌ってたまるかとそう考えるはずですので、その性質を利用するということです。

ただし、これには弊害もあります。

どのような弊害かというと、既に推測してる人もいると思われますが、周りの人達がいい人ばかりだった場合、その人は完全に崩壊するでしょう。

また、反発性新旺盛な人ほど、その思想をコントロールされやすいものはありません。炎上商法なんかもその性質を利用するものもたくさんあるわけで、ひとことで言うと、こういう人達ほど逆にコントロールされやすいのだと思います。

世間が正しかろうが、間違っていようが、とりあえず反対のことを言っておけば納得しやすいのですから、これほど簡単なことはありませんよね。

まあ、このやり方がうまくいくかどうかはわかりませんが、周りによって心が乱されることが多いような環境にいる場合で、かつその人自身が反発性新旺盛な人であるならば、私は、「周りの人たちはあなたの心を乱そうと企んでいるとそう考えるといいよ」とそう言うでしょう。私が出した答えはこんな感じだったので、適当に書いてみました。

同じようなことを繰り返すよりは、自分を知ってるのに、その情報を使わないのは、私としてはなぜなのかよくわからないなあと思います。

その情報は、答えを出すときには常に使うべき情報だと思われます。だからこそ、自分を知ることの優先順位は非常に高いです。

そして、よく逆指標を使って物事を判断する人は、反発精神が強い傾向にあると私は思います。「世間で頭がいいと言われるものは、逆に悪いよ」、「世間で健康によいと言われるものは、逆に悪いよ」というようにですね。

私の場合、割りと、その物事そのものに反発した結論を出すのではなく、ある意味で内容重視な側面が強いです。

まあ、これも世間から見たら、とてつもなく冷たい考え方なんだろうなとは思います。そうですね、私はとてつもなく冷たい物の見方をします。私の場合、世間は間違ってるっていう反発ではなく、世間なんて知るかっていう感じなので、まあ、そうなります。

そして、この「知るか」っていうのもニュアンス的に捉え方が難しいと思うのですが、個人的な感覚から言うと、あまり気にしないって感じかなあ。世間的にどういうものであろうと、正しいものは正しいって言うし、間違ってるものは間違ってるってはっきりいいますよ、くらいの意味。