答えと真実


ここで言う答えというのは、ここで言う正しさや真実というものでは全く無かった。

多くの人は正しいことが答えだと結びつけるかもしれないけれど、私の中にはその感覚は皆無だった。

では、私が言う答えというものがどういう形なのかというと、それは、正しさでも真実でも、ましてや他人を納得させるためのものでもなんでもなく、単に、実現可能なレベルの最適解のことを言っているに過ぎない。

例えば、正しければそれが実現可能かというと、そうでもない。

そして、それらが実現できないようなとき、人はこう言うだろう。

「だったら、どうしろっていうんだ。どうしようもないだろ」と。

これは、正しいこと、本当のことなんて実は最初からわかってた時の言い草だった。

人間社会で言う正しさが、必ず実現可能なものかというと、そうではないのだと思う。また、社会的な価値観以外にも個人的一般的価値観で言われる正しいこともそうだろう。それは必ずしも実現可能なものではない。

しかし、私が考える答えというものは、そうではなく、実現可能なレベルのそれを言うことが多かった気がする。つまり、最短ルートの提示みたいな感じのものではないだろうか。ただし、人の一般的な正しさからかけ離れて理解不能だと思われるそれを、答えと称する事も稀にあるが、これは今回の話とは関係がないので、これについては省略している。

正しいことを言うのは簡単だし、真実を突きつけるのも簡単なことだ。

そして、多くの人がそれを理解し、認識している、と私はそう考えている。

なぜなら、多くの人はそれをつきつけられた時、妙に納得することが多いからだ。

これは、鏡を見ると、そこに映っているのが紛れも無い自分だということを理解していることと似ている。

「こんなの本当の私ではない」と否定しても、それは紛れも無くあなただ。

しかし、これが答えか、鏡に反射するものを読み上げるのが答えかというと、そもそもこれらは私が考えるそれではないことが多かった。

以前、こんな感じの話をしたことがあったような、なかったような気がするので、それの補足。