ツンデレという言葉はマニアな人達からは死語になりつつあるらしい



なんかこういう話を聞いて、そうだったんかー思った話。

私が最近見たアニメでツンデレ関連で覚えているセリフは、ネトゲの嫁のルシアンのセリフで「あいつ、ツンデレならいいけど、ツンしかないからなあー」だった。正確ではないかもだけど、そんな趣旨の話でツンデレと言う言葉は出てきていた気がする。

後はさして覚えてないけれど、例えば、かなり古い作品でいうと「冴えない彼女」とかではよく聞いたセリフだった気がする。

ツンデレと言う言葉は、私の印象としてはギャグを交えた言葉という印象を持っていた。

したがって、自分もギャグを混ぜつつキャラのタイプの話をしたい場合はこの言葉は便利に使っていた気がする。

しかし、言葉というそれ自体はさして重要ではなかったりする。自分の中では。

言葉自体は重要ではなく、要は言いたいことが伝わればそれでいいと思っている。ツンデレもその一つだ。

もちろん、人のタイプはそれぞれだ。だが、その特徴をイチから説明していると、非常に回りくどく、かつ言いたいことが簡潔に伝わらない場合がある。

そこで、個人的にはツンデレという言葉を使うことで、対象がどういったタイプなのか補完されると思って思って使っていた。けれど、どうやらそうではなく、これは古すぎる表現であり、今はあまり使われなくなってるらしい。そして、ツンデレと言われてもピンと来ないということだ。

私の周りではアニメの話とかするときは出てきても違和感ない単語であったけど、どうやらそういうことらしい。

こういうのは、アニメ見てるだけじゃ分からんのな。アニメとかでは普通に出てくるし。

ここで、ツンデレと言われてもピンと来ないとなれば話は変わってくる。ツンデレと言われてもタイプがイメージ出来ない、何言ってんのこの人は?となると私がこの言葉を使用する意味は無い。

どういうことかというと、それは伝わらないからだ。

先程もいいったとおり、私はツンデレという言葉に特別な興味もなければ愛着もない。ツンデレはツンデレであると言いたいわけでもなく、その言葉を通して、一瞬で何が言いたいのか伝わればいいと思って使っている。というか、誰しもがそうなのだ。

だけど、ツンデレと言われて、冴えない彼女の金髪ツインテールの子やネトゲの嫁の金髪ツインテールの子のような、もしくはそれと似た特徴を持っているキャラクターをイメージ出来ない、イメージされないとなると、これは完全にアウトだ。

ツンデレは今や死語で、使うべきではない言葉ということになる。

しかし、それを違う言葉で代替となると、なかなか大変でもある。

例えば、「私は普段は冷めていて、そっけない態度を異性や好きな男子に向けてとっているけれど、それでも内面はそれだけではなく、特に優しくされたり、何かきっかけがあって心が近づくと、二人きりになった時だけはたまに素直になって甘えてくるような性格の子がいて、私は思うに、普段から素直になったほうが自分にとっても相手にとっても良くない?とそう思うのだけど、しかし、こういった普段恥ずかしくてそっけない醒めた態度しか取れない、けれど、ごく稀に心が近づいる状態で、かつ対象と二人きりになった時には素直になることもあるタイプの子は、素直になりたくてもなれないのだと思うし、それはしかたのないことだとは思うけれど、無理に心を隠して、反対に態度を取る子に対して、私は素直になれないと思うのだ」みたいなそんな話になる。

ツンデレを使えば、人によってはもっと伝わりやすく、そして、伝わりにくい。これがどういう意味なのか説明する。

ツンデレを使えば、上記の文章は例えばこうなる。

「私はツンデレは、普段から素直になったほうが自分にとっても相手にとっても良くない?とそう思うのだけど、しかし、ツンデレは素直になりなくてもなれないのだと思うし、それはしかたのないことだとは思うけれど、無理に心を隠して、反対に態度を取る子に対して、私は素直になれないと思うのだ」

こんな感じだ。

なぜだろう。これを読んで、なぜ、人によってはもっと伝わりやすく、そして、伝わりにくいのだろう。

それは、ツンデレのイメージはそれぞれが持つものだからだ。したがって、言葉にできないイメージがそれぞれに変換される。伝わる人にはむしろ具体的表現よりも抽象的表現のほうが適切だ。

実は抽象的な表現と具体的な表現、どちらのほうが相手に伝わりやすいのかというのは非常に難しい問題。例えば小説などの物語では、むしろ抽象的な表現のほうを好む人も多い。そして、それを文学と呼ぶのかもしれない。

もちろん、抽象的であればそれでいいという問題でもない。程度にもよるし、道具にもよる。この場合、道具というのは例えば単語だ。例えば、全く一般的でない単語、一般人?がイメージ出来ないような単語を使う場合は注意が必要になる。なぜなら、そこには各々が補完することも想像することも、そして最悪相手が言いたいことも全く伝わらない可能性があるのだから。

ここで、私は、抽象的表現のほうを好むが、しかし、全く伝わらない、ピンと来ないというなら話は別だ。

私が抽象的表現のほうを好む理由は、それぞれに補完し、想像し、そして創造して読んで欲しいからだろうと思う。そういった思いは常にある。だから、私は迷った時は抽象的表現のほうを好む傾向にある。様々な解釈が可能であるからだ。そして、その解釈によって私は人を見ることができる。

そもそも私は鏡を好む。ここで、鏡というのは、例えば、私が書いた文章を読んで、各々が自らを写しだして欲しいとそう願っているという感じだ。もちろん、これはあくまで理想であって、常にそう考えて行動しているわけでもないし、言葉を発しているわけでもない。ただ、根本的にはそういった考えが一部ではあると感じている。

なぜなのかと言われると、公開してよい範囲の答えに戸惑うが、やはり「解釈の幅が広ければ広いほど、その人が見えるし、私はそれを見るのが楽しみだ。その楽しみを多くの人に知ってほしい」という思いがあるのかもしれない。

例えば、ツンデレについても、ツンデレの最たる特徴が「素直になれない」ということならば、私自身、ツンデレに対して素直になれない。これは当たり前のことであるように見えるし、当然の帰結であるようにも見える。まあ、この辺りは当然ながら好みの問題でもあると思うけど。

話を戻すが、道具である単語についても、やはりアップデートは必要で、読む人がツンデレ?なんだそれ?となるようならば、その表現方法については、間違いなくアップデートが必要だと考えられるし、そういったものは必要になってくるだろう。