一票の格差について

Law Books なんかいろいろなブログで一票の格差や選挙権のテーマが取り上げられているので、分からないなりにもなんか書いてみようと思います。
photo credit: Mr. T in DC



一票の格差について



問題点の指摘



一票の格差の問題は、議員定数不均衡の問題ということもあります。ここで、まずは、こういった法律に関係する問題を取り上げる際に気をつけるポイントを書いてみたいと思います。



こういった法律に関係する問題を取り上げる際には、まず、問題となっているテーマに関連する条文を明示しましょう。



条文を明示しなければならない理由は、一票の格差の問題についても、例えば、「一票に格差があるのは、不平等(不公平)だ」といっただけでは、問題点を指摘していることにはならないと考えるからです。なぜ問題点を指摘したことにならないかというと、上の例では、「それならば、なぜ不平等がいけないのか」に答えていないからです。



したがって、この場合、「不平等は許されない」または、「平等を保障する」と規定した条文に、なぜ不平等がいけないのかの根拠を求めることになります。つまり、条文に「不平等は許されない」または、「平等を保障する」と書いてあるじゃないか、だから不平等はいけないんだよと説明するわけです。



そして、これを問題点の指摘ということにしましょうか。この問題点の指摘が出来れば、後は、理由付けを書いて、結論を書いていく事になりますが、それについては、判例などを参考にすると良いと思います。



ではここで、私が考える「一票の格差」について書いていきたいと思います。



私が考える一票の格差



一票の格差とは、その名のとおり、人によって一票の価値が違ってくるということを言います。人によって一票の価値が異なるというのは、格差があるということです。



格差があるというのは、具体的には、Aさんの一票に100の価値があったとして、同じ日本国民にも関わらず、Bさんには、50の価値しか無いという事態が生じます。



しかし、憲法14条1項には、平等原則が保障され、個人の政治的価値を平等としています。とすれば、憲法は、一人一票の原則を要請していると考えることができ、個人の持つ投票価値が不平等であれば、実質的に見て一人一票の原則に反する結果となることが予想されます。



したがって、投票価値の平等も憲法14条1項で保障される平等原則に含まれると考えます。



とすれば、投票価値を不平等にする一票の格差は憲法14条1項を根拠に原則許されないことになります。



しかし、投票価値の平等を1対1で実現するのは、技術的に困難です。



そこで、投票価値を規定する法令について、どの程度の不平等までが許されるのかを考える必要が出てきます。ちなみに、この問題を解決するには、何らかの基準を立てて考えるのが分かりやすいと思いますので、今回もそうします。



そして、問題を解決するための基準を考える際には、侵害されている権利の重要性(例えば、ここでは、一票に格差があることで、選挙権が侵害されていると言えます)、侵害の度合いなどを考慮して考えると良いと思いますので、このケースでもそのようにします。



思うに、選挙権(憲法15条)は、民主政を支える非常に重要な権利ですので、侵害された時の影響力はかなり大きいと考えます。よって、影響をできる限り最小限に抑えるべく、厳格な基準で考えることになります。



厳格な基準で考えると、投票価値に2対1以上の格差があれば、違憲であると考えるべきと思います。



ここで、衆議院と参議院では、性質が異なるので、基準に差異を設けるべきだという意見があります。性質が異なるというのは、参議院は衆議院と異なり、半数改選の制度が採られていることから、安定した民意を反映することが要請されており、それ故、地域代表的な性格が強いということです。



しかし、この要請は、憲法の統治機構のパートに書かれた条文を根拠にするものであり、さらに、その要請についても、憲法の人権パートに書かれた投票価値の平等の要請よりもはっきりしているとは言いがたいと考えます。



また、憲法は、人権パートと統治パートに分かれていますが、人権が目的であり、統治が手段であると考えることから、両立が難しい場合は、目的の方を優先すべきであり、よって、目的である人権パートに書かれた投票価値の平等を優先して、衆議院と参議院の基準には、差異を設ける理由はなく、参議院でも同じく投票価値に2対1以上の格差があれば、違憲であると考えるべきと思います。



次に、このような基準に照らし違憲となった選挙は無効にすべきかという問題があります。なぜなら、選挙を無効にしてしまうと、その影響は大きすぎるからです。



ここで、私は、選挙は無効にすべきではないと考えます。なぜならば、選挙を無効にするだけでは、新たな選挙区割を定めた立法をすべきものがいなくなるだけで、問題の解決にならないからです。



したがって、事情判決として、当該選挙区割でなされた選挙は違憲状態と宣言するにとどめるべきと考えます(行政事件訴訟法31条参照)。



しかし、いろいろなブログを見ていると、安易に一票の格差はおかしいから選挙は無効とすべきと言って、最高裁判所裁判官の国民審査(憲法79条2項)により、罷免の対象になるものに✗をつけろという人がいるようです。



これに関しては、選挙を無効にした場合の影響力や裁判所が消極的機関であることの理由などを想像できていないことが多く、がっかりしてしまうことが少なくありません。



例えば、選挙を無効にした際に、裁判所が違憲とならない選挙区割についての作成基準を示し、それに国会が従ったとしましょう。これ自体、本来国会がやるべき仕事を裁判所がやっていることになり、国会が唯一の立法機関(憲法41条)とされた意義を喪失しかねない状況になります。また、このようにして再選挙となった場合、事情判決を下す場合と比べると、選挙を組織する費用や立候補者の負担は増大します。例えば、選挙をするには立候補者には一定のお金が必要になってきます。そして、もしかしたら、2回も選挙するだけのお金がない立候補者もいるかも知れません。この場合、選挙を無効にし、再選挙となると、お金持ちしか政治家になれないという状況をさらに強化してしまうことになるでしょう。果たして、これは有権者が望んでいることでしょうか。



よって、安易に選挙無効を叫び、全てを裁判所のせいにして最高裁判所裁判官は解職せよと怒り狂うのはちょっと違うんじゃないかという気はします。



若者は選挙に行けという風潮について



若者は選挙にいけという風潮についても、ブログなどで色々と書かれている記事を見かけます。ここでは、このテーマについて個人的な考えを書いて行きたいと思います。



まず、上の一票の格差の問題を考えてみてください。これは、今日、最高裁で違憲状態と判断されている問題でもあります。つまり、今までの選挙は、投票価値の格差が大きくて、違憲状態だったということです。



この問題は、ずっと前から言われているにもかかわらず、国会の怠慢から放置されてきた問題でもあったようです。



格差についてですが、多い時では、人によっては、4、5倍の差があったといわれています。これは、都心の人達の4、5票でやっとある地域の人の1票に届くという計算です。



そして、この問題は、国会の怠慢と言われている問題ですが、最終的に考えると、今まで投票権を持ってきた人達の責任でもあると考えます。なぜなら、この国は、建前上は、民主主義だからです。民主主義というのは、言ってみれば、国民が主人公ということであり、その最終的な責任も国民に帰属するということでもあります。



こういう問題があるということを頭に入れず、単に若者は選挙に行けと怒り狂うのは、ちょっと酷だなと思います。また、少子化問題もありますので、そういった問題もさらに若者の選挙の投票率を下げている要因でもあるように思います。例えばですが、あなたは負け試合をしたいと思いますか?ということでしょう。



一方、選挙権の重要性から考えると、若者は選挙に行けという考えにも一理あると考えます。



例えば、国王が支配していた時代には、国民に選挙権はありませんでした。この場合、国民にとって何が問題なのかというと、国王を選挙で落とすということができないからです。さらに、選挙権がないことをいいことに、国王は国民に悪く思われようが全く気にしません。好き勝手できます。



しかし、選挙権があることで、政治家は好き勝手がやりづらくなります。なぜなら、国民に悪く思われてしまうと、次の選挙で落とされてしまい、選挙に落とされると、国政への権限を剥奪されてしまうからです。



よって、選挙権とは国民にとって非常に重要な権利だと考えます。



以上から、若者の選挙の投票率を上げたいなら、環境を整備することと、選挙権の重要性を訴えることが大切だと思います。単に若者は選挙に行け、行かないのが悪いみたいな風潮は、若者の選挙の投票率を上げるためには全く役に立たないと考えます。