「中二病でも恋がしたい」の感想

120908(2) - 將在10/3播出的動畫《中二病でも恋がしたい!》追加大量配角聲優名單!
photo credit: 中二病でも恋がしたい(ccsx)


はじめに


前回書いた、「中二病でも恋がしたい」の感想が中途半端だったので、今回は、少し本気で書いてみたいと思います。


感想は、キャラクター分析と、このアニメのテーマについてです。


キャラクター分析


冨樫勇太


冨樫勇太についてですが、勇太は、普通の男子キャラだと思います。


これは、何もアニメのなかだけというわけではなく、現実の一般的な男子の特徴がある程度表現されたキャラクターでもあると考えます。


そして、このような一般的な男子キャラは、私は女子にはあまり人気がないように感じています。


これは、女の子からすると、「もう少し積極的になれ!」とある種のじれったさを感じさせるからだろうと思います。


これについては、詳しくは、 丹生谷森夏との比較で説明しますが、一方は、消極的すぎると思われ、一方は、積極的すぎると思われていると考えます。


しかし、勇太については、告白シーンや最終回などの積極的シーンがあったこともあり、女子にも好感が持てるようなキャラクターへと成長したと感じました。


丹生谷森夏


森夏は、非常に積極的な女の子キャラです。これは、勇太と同じように現実の一般的な女子の特徴がある程度表現されたキャラクターであるように感じます。


したがって、森夏は、女子には人気の高いキャラクターになっていると予想します。


しかし、反対に、男子には不人気なキャラだと勝手に思っています。


しかし、六花の恋を手助けするなどのシーンがあったこともあり、勇太と同じように、こちらも、男子に好感が持てるキャラクターに成長したなと感じました。


凸守早苗


凸守は、将来的に大物になるという予感を漂わせる女の子だと思いました。はじめて登場した時からそのように感じています。


案の定、家は相当なお金持ちだったようです。


五月七日くみん


私は、このアニメでは、くみん先輩が一番のお気に入りキャラクターです。


くみん先輩の趣味は昼寝ですが、私も昼寝大好きです。


表面的には、のんびり屋で天然というキャラクターですが、私は、くみん先輩は、時に策士な一面を持つキャラクターだと分析しています。


これは、森夏にぶたれた時、寝言で「意外とぽっちゃりんさんだね~」と言って仕返ししたことから分かります。


また、一見して嫉妬心が無いように感じるのんびりキャラですが、本気になった場合の嫉妬心はかなり強烈だと感じています。あえて言うなら、けいおん!の平沢唯と平沢憂の中間のような性格でしょうか。


これは、凸守の成績をしっかりと把握していた事実、及びその時見せた表情などからわかります。


好きなキャラだけに、ちょっと突っ込みすぎました。ごめんなさいです。


くみん先輩は、とても優しい人なので、大好きです。


小鳥遊六花


六花は、消極タイプの一般的な女の子だと思っています。


本来は、時に友達のおせっかいを焼くところがあり、相手のことを第一に考える女の子だと思いますが、中二病を患っていたおかげで、自分のことも積極的に大切にできる子に成長したように思います。


このアニメのテーマ


このアニメのテーマは、タイトルにもあるように、「中二病」だと考えます。


したがって、本当に中二病は悪いことなのだろうかという疑問を投げかける作品であるように思いました。


ここで、中二病は、一般人と比較し、相当な個性を発揮していると思います。


しかし、私は、中二病が悪いことだとは考えません。なぜなら、個性的だということは、別に悪いことではないと考えるからです。


しかし、学校や日本社会では、個性は悪だと決めつけられ、徹底的に排除される傾向にあるようです。


そして、これは、日本の教育から派生した大きな問題だと考えます。


子供の個性を摘み取ることは、将来的にはとてつもないマイナスをその国にもたらすでしょう。個性は、財産のようなもので、それを育てると、大きな果実になります。しかし、それを意味もなく摘み取ってしまうと、財産はゼロになります。


そして、この問題を解決するには、単に子供の個性を摘み取ると、将来的な国の成長のためにマイナスな作用をもたらすという事実を認識するだけでは、不十分だと思います。


この問題を解決するために一番認識しておかなければならない事実は、「力を持ったものは、それを失うことを恐れる」ということでしょう。


支配するものは、自分の支配力を失うことを最も恐れ、それを避けようとするのが通常です。


そして、それを避けるための手段が、人の個性を摘み取り、国民をできるだけ惨めにしようとする試みなのだと思います。


このような人達は、自分達が支配力を失った時に初めて気づくでしょう。


何に気づくかというと、それが不可能なことと、自分達がやってきたことの無意味さにです。


私は、支配という考えではなく、共存という考えのほうがより重要だと思います。


これ以上書くと本気で毒を吐きそうなので、止めておきます。


六花の姉


私は、六花の姉があまり好きではありません。


彼女は言います。「これが現実だ」、「少しは母親のことも考えろ」、「無責任だ」と。


しかし、私は、妹の個性、人格を否定し、自分の望む妹像を押し付けることのほうがよほど無責任だと考えます。


また、本当に、自分の望む妹像を押し付けたらすべてがうまくいくんでしょうか。私はそうは思えませんし、それで自分の望む結果が得られるとも思いません。


最後に、六花の姉は、「変なことをしていると周りの人が心配する」といいますが、私は、その個性を認めるだけの寛容さが無い人のほうが、これからはよっぽど心配だと思います。


最後に


最後に、色々と書きましたが、アニメも表現手法の一つにすぎません。そして、このような表現手法は、おおよそ作者の考えを伝えるために存在します。


したがって、アニメを観た人は、通常は、上のような感情を抱くことが予想されます。


しかし、私は、もしこのアニメで六花の姉の過去が長々と語られた場合、上とは違った感情が芽生えることもあるし、その可能性も高いと考えます。


したがって、アニメにも現実にも言えることですが、常に相手の立場になってものを考えることや、自分以外の他人について実は何も知らないということを認識することも大切だと考えます。


簡単に言うと、見方によって、見えてくるものが全く違うということです。例えば、このアニメが六花の姉の立場から描かれたものならば、六花の姉を応援したくなるし、このアニメが六花の立場から描かれたものならば、六花を応援したくなるということです。


そして、本作では、六花の姉よりも六花に近い勇太が主人公だったので、私は上のような感想を持ちました。