相手が言いたいことと本当のところの話



前回、Amazonの読み放題サービスで人気本が即座に取り下げられたことについて私は自分なりの考えを述べました。

Amazonは「サービスが予想外の人気で赤字が出てしまって人気本を取り下げた」という理由で説明しています。

ここで、Amazon側が言いたいのは、「消費者のせいでこうなったので、自分は悪く無い、仕方なかった、やむを得なかった」ということだと考えられます。

では、これは本当なのでしょうか。

私には内部的な事情については分かりませんが、私が言えることとしてはAmazonほど儲けている企業ならやろうと思えばできたのでは?ということ。そして、儲けを増やそうとしたら最初からそのつもりで計画し、宣伝のために最初は品揃えを倍増して見せた方が効果的だろうということです。




Amazonの商売について


私はAmaoznの商売方法について多少の疑問が前々からあります。

例えば、最近では読み放題のサービスが話題になりました。

でも私は最初から宣伝目的で人気商品を含めていただけで、後で取り下げるつもりだろうなと予想していました。

案の定、多くの人が読むであろう人気本はサービス開始まもなく取り下げられることになりました。

理由は予想外にサービスが人気だったとAmazonは説明しています。

私は、読み放題サービスが本当の意味での消費者の節約にはならないと考えています。例えば、人気本なんかは普通に売ったほうが売れますよね。したがって、読み放題に含める意味が分かりませんでした。

当然ですよね。本当の節約につながってしまったらAmazonは儲かりません。

いや、儲ける事自体は悪くはありません。ただ、後述しますが、私は昔からAmazonの商売のやり方は上手だなあと思うと同時に、多少の疑問を感じていました。簡単に言うと怪しいとも思っていたのです。

Amazonのこれまでのやり方を見ていると、売れ残りをいかに上手く売るのかという点に力を入れているように見えますし、そこが非常に上手いと思います。

次は、Amazonが説明する「サービスが予想外の人気で赤字が出てしまって人気本を取り下げた」という理由について考えてみます。

私はその真偽を判定することはできませんが、相手の言いたいことを読み取ることはできます。

ここで、Amazonが言いたいことは何なのでしょうか。

それは「消費者のせいでこうなった」、または「消費者のせいでこうなったので、自分達は悪く無い、仕方なかった、やむを得なかったんだ」ということです。Amazonがこの件で言いたいのはこういうことだと思います。少し誇張した表現になってしまいましたが、ようは自分達のせいではないという説明ですね。

Q 人気本がいくつも読み放題のサービスから外れたけどなぜ?

A サービスが予想外の人気で赤字が出てしまったためです

こういうケースでは特に、相手のいいたこと、伝えたいことを読み取らなくては正しい判断はできません。特に消費者側としてはこういうのを読み取る能力が問われます。相手の説明を鵜呑みにして、「じゃあ、しょうがないなあ」と単純に考えるとよくありません。そもそもしようがない以外のことがあるのでしょうか。すべての事柄は説明によっていくらでも「仕方がなかった」と変換することは可能なのです。

続きは次回ですが、私は今回の件は2つの理由からAmazonは最初から人気本を宣伝のために利用し、あとで取り下げる計画だったのだと考えています。いや、こういうやり方が必ずしも悪いとは思いません。規約はAmazonの都合の良いように作られているだろうし、法的には問題ないように作られているでしょう。ただ、Amazonが提示するサービスは、消費者が宣伝を見て判断したものとは少しばかり異なるのかもしれません。


AmazonAWSなど


http://postd.cc/why-we-moved-from-amazon-web-services-to-google-cloud-platform/

私の場合、AmazonのAWSはあまり使っていなくて、もっぱらGoogle Cloudのほうが好きだし、使いやすいと思っています。

Amazonっていうのは個人的にはあまり好きではない。それに技術的には非常に遅れている企業だと思っています。普通にサービスを使っているだけでも何となくそういうのは感じます。

例えば、Kindleを使っている人は多いかと思いますが、あれはコンテンツビジネスとして優れているのであって、技術的に優れているわけではありません。Kindleの操作性やストア表示、ストア検索などを見ていても、全然使えないという感じなのです。便利じゃないです。

Kindleが便利なのはたくさんのコンテンツが揃っていること及び、安さにあると思っています。これがAmazonのやり方だと思っています。

しかし、内実、それが技術的に優れていることには直接結びつきません。

また、例えば、Amazonアソシエイトについて知っている方は、Amazonが特別技術で優れているとは普通考えないでしょう。

それを除いてもAmazonはSSLに最近まで非対応だったり(広告を含め)、二段階認証が使えなかったりとサービス自体にもぎこちない部分は日頃からたくさん感じています。そして、他の企業と比べ、何か遅れているなーと思うことも多いのです。

ただ、Amazonは技術的には特別優れていなくても商品数と安さなどに特化しており、まとめサイト的な使いやすさがあるのだと思います。

続きは今度。



ユーフォ2期



ユーフォは2期あるの正直びっくりした。この作品は映画化することにも結構驚いた記憶がある。

何故かと言うと、自分はユーフォはあまりおもしろいとは思わなかったから。ただ、個人的な感想や予測はやっぱりあてにならないなーとも思う。

でも考えてみると京アニなのでそれほど驚くべきことでもないかもしれない。

例えば、京アニは中二病でも映画化と2期をやっている。これ自体は好きな作品だったけど、2期と映画は面白いとは感じなかった気がする。

京アニは一つの作品を割りと長めに付き合ってくれるので、その姿勢は好きだったりする。ユーフォも売上で2期を作るかどうかを決めているんじゃなく、1期終了時に既に作り始めているような早さだと思った。いや、単に作るのが早いだけなのだろうか。もしかしたら売上を見てから決めているのかもしれない。ただ、私はユーフォは映画化と2期が思った以上に早かったと思った。

ユーフォ2期は期待できるのだろうか。1期があまり面白くなかったけど、2期はどうなるかわからない。中二病の場合、1期が面白くて2期がつまらなかったので、その逆はありうる。


評価をする側と評価をされる側



私は基本的に評価をする側よりも評価をされる側のほうがレベルが高いとそう思っている。

なぜなら、実際に行動することよりも、口で言うだけのほうが簡単なことが多いからだからだ。

しかし、評価をする人間も時には必要で、かつ重要な役割を担っているとも言える。つまり、どちらも必要なのだと思う。

私はどちらかと言うと「評価をする人間よりも、評価をされる側の人間になれ」という主張を強く持っている。

ただ、これについては私の正確な主張とは異なるので、私の正確な主張について少しばかり説明する。

人間、評価をする側と評価をされる側に確定的絶対的に分かれていることなんてあるだろうかという疑問がまずある。

この点、通常は一人の人間でも評価をする側に周ることもあれば、評価をされる側に回ることもあるだろう。

要はどっちもなのだ。

ここで、評価をされる側の立場を全く考えずに言いたいことだけ言って終わりという人も中にいる。

それが必ずしもマイナスに働くとは限らないが、私はどちらかと言うと、そういう人は苦手である。

いや、苦手という表現も正確ではなく、感じたとおりに表現すると、そういう人達は世の中を息苦しくしているんじゃないかと思うことがあるのだ。

私は息苦しい世の中はあまり好きではないのだ。疲れるし、疲れるし、生産性を落とすだろうし、何より楽しくない。

したがって、評価する側には、評価される側にある程度配慮した物言いというものは大切だと思っている。

この記事で何が言いたかったのかというと、「もしあなたが評価される側の人間だった場合、あなたのほうがレベルは上なので、自信を持って欲しい」ということと、そして、「もしあなたが評価する側の人間だった場合、あなたは評価される人間よりレベルは低い。そのことを頭に入れて評価するようにして欲しい」ということだろう。

こう考えれば、世の中の息苦しさも少しは緩和されるだろうと思われる。

まあ、私の価値観によると、レベルなんて存在せず、社会的に偉い人であれ、そのへんのおばさんであれ、みんな同じようにしか見えんのだが。しかし、人は私を含めて傲慢に陥りやすく、かつ劣等感に苛まれやすいので、上のような姿勢を紹介した。おわり。


悪いこと



この前、違うブログで悪い広告の話をしたんだけど、もう一つだけ補足すべきことがあったのを思い出した。

本来ならそっちに書けばいいんだけど、同じような指摘ばかりで感じ悪い気がするので、こっちに書くことにする。

「悪い広告はあるよ、法的にも」みたいなことを言った。

ここで、多分だけど「悪い広告なんてあるのか?ないだろ。正しい広告もなければ悪い広告もないよ」と考えた方もいるのではないかと思う。

理由としては、そういう人はとりあえず反発したかったり、反論したかったりする心理的傾向があるからだと思う。

ただ、その部分は単なる反射運動みたいなものなので、特に気にしてはいないけれど、今回のケースでは続いて「法的にダメなことは、必ずしも悪いことではない」という反論があり得るので、その部分の補足になる。

法律の定義によると「違法性=悪いこと」(特に刑法など)と考える立場があり、そして、そのような考えがむしろ一般的だったりする。

なので、このように考えた場合、法的にダメなことはイコールで悪いことに繋がる。

世間的には法的にダメなことを直接悪いことにつなげることはしないかもしれないが、ここではそういった意味愛をこめて「悪い広告」という言葉を使っていたりする。

もちろん、広告というテーマは、行政や民事に近い印象だし、その場合、違法性=悪いことに即座に繋がるものではないかもしれない。

しかし、違法性=悪いことと考えるのは法的にはそれほど変なことではなく、そういう考え方もあるのだと思っていただければ幸いに思う。

私自身の価値観からすると、悪い広告と良い広告なんていう区別は、多少違和感があったりもする。しかし、本件のテーマではその部分(良い悪いの区別の部分)は本質ではなく、割とどうでもいい部分なので、やはりそういった部分を注目されすぎるのは何というか、間違いだと思う。

この記事で伝えたかったことは、「反射的にある部分の反論を思いついたり、批判を思いついたり、攻撃を思いついたりといった考えに取り憑かれてしまい、そこに熱を入れてしまうと、本質を見落としがちになる」ということだ。

自分の立場しか考えない人や相手を攻撃することしか思いつかない人は要注意かもしれない。

そんな感じの話を本来書きたかった気がする。

ただ、最初に述べたように同じような指摘ばかりで感じ悪い気がするので止めておいた。

私ならどうするかについてだが、私なら多分、なんで相手はあえてこの表現を使ったんだろう?って考える気がする。

まあ、基本適当に書いているだけだし、適当すぎるブログであり、適当すぎる文章なわけだけど、そんなものでさえ、何事にも理由があるということなのかもしれない。おわり。


雑記


特になし。

何かを書く気もあまりしないので箇条書きで最近考えたことなど。

  • 作品の世間的な評価については既になされている物が多く、それは売上が全て。それ以外には何も必要はない

  • ただし、レビューについては購入を考えている場合に限って参考になることもある

  • 言い訳するからダメなんだ、だから時代に乗り遅れるというような誰もが真っ先に思いつくようなことばかり反射的に考えていてはダメ。そういうのは他の人に任せて、自分はその先を考えよう

  • その先というのは、例えば問題の解決法。批判は簡単だし、誰だってできる。それは、みんなやっていることだし、世の中にあふれていること。なので、僕はそういうことはできれば他人任せにしていきたいと思った

  • ただし、批判すべき事柄の批判が少なかったり減ってきたりした場合、批判するのは良いかもしれない。必要なことのように思えるよ

  • 需要と供給バランス良く。どちらが多くても無駄が生じる

制作現場や開発環境を評価に含めること



まず予め言っておきたいのは、私は例えば作品の評価において、制作現場や開発環境を考慮した評価はしてこなかったし、そんなの調べるのも面倒なのでやって来なかった人間である。

また、私がもし批評を見聞きする側に立った場合でもそういう話はあまり面白くないのではないかと思うので、特にそれらの外的要因について、評価に含めたいと考えたこともあまりない。

ただ、これについて、私なりの考えというか、視点というか、感じ方というか、そういったものとは別問題なので、まずはそこから語っていきたい。

さて、私の視点というか考え方はとても単純で「作品の評価について、その開発環境を評価に含めたければ含めればいい」というものである。

つまり、作品の評価とは言ってはいるが、なんでもありなのである。なぜなら、それは個人の問題だと考えるからだ。したがって、別段、それが含まれていることに対して、何も感じないし、それが的外れだとも、間違っているとも、価値が無いとも思わない。

ではなぜ一見、作品内容とは無関係の開発環境をその評価に含めることが間違いではないのだろうか。

それは、考えて見れば簡単なことだ。

一言で言うと、「作品はなんのためにあるか」だ。

そう、この問いが即座に答えになる。

まあ、いきなりで訳がわからない人もいるかもしれないが、これが私の思考経路みたいなものなので、本件とは特に無関係ではあるが、私が普段どのように考えるのか、参考になればと思ったので書いてみた。

さて、作品とはなんのためにあるのだろうか。例えば、アニメとはなんのためにあるのか。

これは、立場によって様々だろう。制作サイドから見ると「生活のためです」という人もいれば、単純に「好きだから」という人もいるだろう。場合によっては、「なんでアニメを作ってるのか自分でもよく分からない」という人もいるかもしれない。反対にユーザー側から見れば「将来のため」という人もいれば、単純に「面白いから」という人もいるし、「暇つぶし」という人もいるだろう。

また、それがどのように将来に繋がるかについても未知数だ。例えば、「昔アニメを見ていて、いつの間にか開発環境を改善したいと思うようなり、現在の仕事をやっている」という人もいるかもしれない。

ここで気付いた人もいるかもしれないが、これらはSHIROBAKOに出てくるシーンの数々だったりする。いやいや、SHIROBAKOを見ろという話では全く無い。それに私がこのアニメから考えだした結論でもない。

単に分かりやすかったのでSHIROBAKOのシーンを参考にしただけだったりする。何事にも根拠が必要だ。特に、人に自分の言いたいことを伝えたかったり、または納得させたかったりする場合は。

話を戻そう。私が言いたいのはつまり「何のためにアニメを見るのか?」、「作品とはなんのためにあるのか?」というような問いは人それぞれ全然答えが違って当たり前ということだ。

次に、作品の評価について。例えば、開発環境や制作環境は作品の評価に全く関係ないという反論もあり得るので、これについて個人的な考えを述べる。

まず、評価というのは一体なんだろう。

これは、人に分かりやすくその作品について伝えることだと考えている人もいるだろう。それはそれで間違いではない。

ただ、私は少し違ったものの見方をする。

私は、その作品の評価はあくまで自分のためにするもの、もしくはどちらかと言うと他人に説明したり、伝えたりするより自分にとって一体どのような価値があったのかを優先して考えること、伝えることを作品の評価だと捉えている。

いや、これも正確ではなく、あくまでケースバイケースなのだと思う。しかし、どちらかと言うと自分にとっての価値を評価に繋げる行為を作品の評価と呼んでも良いと考えているのだ。

少し話が難しくなってきた気がするので、もう少し簡単に説明する。

つまり、「何のためにアニメを見るのか?」を各々が作品の評価につなげても良いと考えているという話だ。

そして、「何のためにアニメを見るのか?」は各々、目的も違えば、答えも違ってくる。

ある人はただ単に楽しむためだけに見ているのかもしれないし、ある人は技術を吸収したいと思い見ているのかもしれない。ある人は開発環境の裏側を探り、参考にしたいと考えているのかもしれない。これは少し公平ではないのだけど、例えば、いつしか開発環境を改善したいと思うようになり、それが将来につながっていくのかもしれない。SHIROBAKOにはスタジオの社長さんがそんな感じの人だった記憶がある。

世の中、色々な人がいて、色々な役割があって、そして、私達は自分たちとは違う役割にある人達のことを何も知らない。何もわからない。いや、知ろうともしないし、分かろうともしないの間違いか。

しかし、多くの場合、自分達が理解しようとしなからと言って、そういった役割が不要になるということはあまりない。また不要だと思って捨てたはいいが、あとあと、それが思いもよらない影響を及ぼすことも少なくはない。

人間には細かな因果関係や広範囲に及ぶ影響をすべて予測し、コントロールすることなど不可能なのだ。

では、どうすればいいのか。

ここでの私の答えは、一つに多様性を認めるということだと思っている。

私自身、作品の評価に現場環境や開発環境を持ち出すことについて、それが面白くなかったり、時にバカバカしく感じることはあっても、そういったやり方自体を批判することはあまりない。本来やり方は自由でいいはず。

書くべきことはまだ山程あるが、何となく飽きてきたので、連続で続けようかなと思っていたこのテーマはこれで終わりにする。

さて、最後に、あなたは何のために作品を見るのか?何のために作品を評価するのか?について再び問うとしよう。

その結論、その答えは、果たして他の考え、自分のとは異なる考えに比べ価値が高いものなのだろうか?

それは自分の将来につながっていて、人生をより良くしてくれるものなのだろうか?

そんなの関係ない?

では、その目的や評価は自分を変えてくれるものだろうか、成長させてくれるものだろうか?

自分はそんなことのためにやってるんじゃない?

では、作品内容とは全く関係のない外的要素を持ち出すことと持ち出さないことは、果たして価値がそんなに変わってくるものなのだろうか?

フィクション作品の評価を現実に繋げようと繋げまいと、それはどちらかがダメで、どちらかが正しいことなのだろうか?

自分でも何のためにやってるのかよく分からない?

もしそうなら彼らも同じなのかもしれない。

性質上、やらざるを得ないし、だからこそ、そうやっているだけなのかもしれない。

追記


私の答えは、「分からない」というのが一つだ。

作品を何のために見るのか?

多分、分からないから見るのだろう。それがどのように自分に影響を与え、自分がどのように変わっていくのかなんて分からない。だから見るのだと言うことができる。

何のために評価するのか?という問いについても同じ答え方ができる。わからないから評価するのだ。それを評価して、どのように自分が変わるのか、または変わらないのか、分からないから評価するのだということができる。

例えば、評価についても、評価している最中、それがどのように受け止められ、またはどのような反応があるのかというのはわからない。これは他人のみならず、やはり自分に対しても評価している最中、決まりきったものがあるわけでもなければ、自分がなにをどのように評価するのかはわからない。途中で気が変わるかもしれないし、何かを思い出すかもしれない、はたまた結論が変わることもあれば、印象が変わることもあるだろうし、異なる視点に気づきもするだろう。

もう一つの答えとしては「在るがままに」というのがある。

まあ、なんで見るのか、なんのために見るのか、なんのために評価するのかというのは、やりたいからやってるだけということです。

人は在るがままにしか生きられません。

したがって、理由を聞くこと自体、無意味であるともいえます。

これは、例えば、へんてこな視点(自分と違う視点)から作品を評価しようとする人達も同じで、その点では何も変わらないと思っています。

んー、それがその人達の在るがままなのでしょうがないんじゃないかってことです。

そして、これはお互い様だし、自分もやりたいようにやってるだけ、評価してるだけだしという感じです。

何のために生きてるのって言うのと同じような問いであり、答えですね。

生きてるから生きているんだよ!っていうことで。おわり。

追記2


この記事で言いたかったのは、多分、間口の部分を狭めるような批判はあまりよろしくないんじゃないかという感じのものだと思います。

例えば、答えがあったとして、そのゴールに辿り着くには無数の道、解答があります。

で、この道しか通ってはいけませんというのは、面白くないですよね。可能性が広がりません。

遠回りしてもいいし、最短距離を通ってもいい。そして、その先についても各々違ったゴールがあるのだと思います。

今回の件では、道が制限されていて、それはゴール(目標や目的)を限定させることにもつながってくると思います。

つまり、表で言うと4通りあるうちの2つにバツがつくわけですね。

|a|b|
|---|---|
|0|0|
|0|1|
|1|0|
|1|1|

こういう場合、私は警告的な記事を書きやすいんじゃないかなと分析しています。


自動更新するアニメの感想リンクサイト



以前、作りたいとか言ってたので、作っているのだけど、割とイチから全部自分で作っているので時間がかかっている。

これは、既存のサイトのリンク集を丸ごとコピーするやり方ではなく、ソースから取得するようにして作っているので、思ったよりも時間がかかってしまった。

また、情報を取得した際、稀にタイトルとかにバラつきがあって上手くソートされなかったりするので、そういうのを細かにリンク元のサイトに修正リクエストを送ったりしようかどうしようか迷う。これは、別途、編集リクエストがありそうなものをまとめた記事を自動作成することで対応すると思う。

あと、Google APIのリクエスト制限がきつい。フリーで使ってるだけなので、ちまちま情報を上書き取得していくしかなさそう。

アニメ関連はAPIが不足していてすごく不便なので、機会があれば公開するかも知れない。

https://anicat.gitlab.io/

正直、まだまだ全然未完成でなにもないけど、自分が便利に使えるようなサイトにしていきたいし、時間があれば翻訳などもしていけたらと思っている。


ドラマとアニメ



アニメのほうが好きだな。

もちろん、面白いドラマもたくさんあるけど、やっぱ話がアニメのほうが面白いものが多い気がする。

それにドラマは見ていて疲れるものが多い。

しかし、海外作品は全力でおすすめする。24とかすごく面白かったし、リアリティも相当あるし、日本のドラマのようなぎこちなさが少ない気がするんですよね。


アニメに求めるものはリアルかファンタジーか



どちらもというのが正解なのだけど、その理由をちょっとだけ説明すると、現実的すぎたら面白く無いし、逆にファンタジーすぎると意味がわからないということになるからです。

でもどちらを優先するのが正解かというのは自分の中には答えがあって、それはリアルを優先すべきという答えになります。ただし、これは、どちらかを選べと言われたらの話で、前提として、どちらも大切というのはあります。

さて、なぜアニメ(を含めた創作全般)はリアルを優先すべきなのでしょう。

簡単に説明すると、私達の目に入ってくる作品はすべてリアルを優先しているから、ということになります。

いやいや、ファンタジーが強い作品だってあるよ?

確かにそうかもしれませんが、私の基準からすると、それらはさほどファンタジーが強くありません。

なぜなら、本当にファンタジーが強いのであれば、それは人間が理解できる範疇を超え、訳がわからない解読不可能なものになっているでしょう。

つまり、私の基準で言うと、人間が主人公で、人間の言葉をしゃべり、日本語ではなし、そして、登場人物が私達が理解できる行動をしているならば、それはリアルが強いというか、リアルを優先しているということなのです。

そもそも世間受けするもの、万人受けするもの、ある程度のユーザーに支持されるものというのは、私はリアルを優先しているのだろうと思います。

もちろん、作り手からしたら、そんなことは考えていないのかもしれませんが、リアルとファンタジーのどちらのほうがより強いかと聞かれれば、私はリアル要素のほうが強いのだと思います。

しかし、こういう考え方自体、あまり一般的でもないので、「アニメに求めるのはリアリティ?それともファンタジー?」と聞かれたら、私は「ファンタジー系のほうが好きかもしれない。例えば、とある科学とか好きだし」と答えるかもしれません。

ただ、正確に自分の考えを述べるなら、とある科学はリアリティだと思っているし、既存の作品全般がリアリティだと思っているわけです。

では、なぜ自分の考えと全く反対のことを答えるのか?

その理由は、「そんなこと誰も聞いてないから」です。

だって、「アニメに求めるのはリアリティ?それともファンタジー?」と聞いている人は「リアリティとファンタジーはどのような基準で区別している」なんて聞いていませんからね。したがって、相手が言いたいことを推測し、ある程度現実的な受け答えをしますね。

まあ、現実的な受け答えは面白く無いだろうということで、今回はこんな感じで自分の正確な考えというか基準みたいな話をしてみました。おわり。


ラブライブが眩しすぎて見れない



スクールアイドル系全般に言えることなのかもしれないけど、今期もラブライブを視聴してみようとちょっと頑張ってみたものの、挫折。

いつの間にか途中から見なくなってしまった。

何となく見なくなったというでなく、頑張って見ようとするのだけど何となく無理なものは無理だった。見る気が全くしない。

あれだ、ケーキ食べ放題でケーキを食べすぎて勢い良く取りすぎた分を無理に口に入れようとするのだけど、ウップってなってしまって無理という感じなのだと思った。

その理由は多分、こういったスクールアイドル系全般に言えることだけど、キラキラ眩しすぎて見れないのではと考えてみる。

ラブライブは私のようなインドア派の人間には思わぬ天敵アニメなのかもしれない。


AHEGAOが流行ってるらしい



「HENTAI」や「BUKKAKE」など数々のクールジャパン(?)が海外に浸透していきましたが、まさか「AHEGAO」まで浸透するとは...。

「AHEGAO」(アヘ顔)が海外の若者を中心に流行中!これがクールジャパン...か?


笑いをストックする



よくこんな面白いこと思いつくな~といろいろな作品を見ているとそう思うことがあります。

これは、私は特に苦手でして、いろいろな作品や文章を読んで普段笑わせてもらっているけれど、でも、実際にやろうとしても何も思いつかない。

何も、全く何も思い浮かばなない。

やっぱり苦手なのだろうと思います。

しかし、これに対する対処法はあると思っていて、それは笑いをストックすること。メモると言い換えてもいいかもしれないけど。

しばらくの間、これ面白いなーと思ったネタについてはメモすることで、私も多少、面白い事を言えたり、面白いオチを考えついたり、面白いツッコミ(もといボケ)を考えついたりできるようになるかもしれないと画策しています。


一貫性があるブログとないブログ



このブログって、客観的に見て一貫性は全く無いと思っています。

所定の決まりきったテーマでもなければ内容でもないし、書き方でもありません。

個人的には、一貫性がないよりはある方が良いと思いますね。最初に色々と全部決めて、後はその通りにやるというのが最も合理的なのではないかなと思います。

ただ、一貫性がないことが必ずしもマイナスになるとは限りません。

例えば、アニメでも私はシリアスがあり、笑いあり、感動ありのような作品が好きだったりします。

逆に、一辺倒のアニメだとちょっときつい。笑い要素が一切なかったりとか。

面白い作品ってシリアスなものでも結構な頻度でギャグが含まれていたりするのです。

でも笑い要素を考えるのって結構難しいんですよね。

すごく難しい。

こういうのはどうやって考えてるんだろうと思います。したがって、笑い要素が含まれてるブログとか読んでいてすごいなーと思います。

内容が真面目でも、どこか笑いがあると救われたりするものです。


ストック切れそうな時に通知してくれるシステムを作った



デスクトップ用とSlack用の2つを作った。

と言ってもSlackは、個人的に設定した通知が大量に来るのでいつの間にか見なくなってしまって久しい。よって、使えるかどうか微妙。

最近はポケモンの通知が来るように設定していたのだけど、ゲームにも飽きてきたし、通知多すぎだしついでに消しといた。


ストックを消していて思うこと



結構、これは出せないなというものがあったりして、消したりもしています。

それはある種、批判的になってしまったなものが多いのですが、こういうのはなるべく出さないように消してしまいます。

それが結構なボリュームで書いたものも多く、勿体無い気もするんですが、やっぱり消して正解だったなということも多いです。


最近全然ブログを更新していないので色々と忘れてしまってる件



ブログというか、記事の元となってるメモなんだけど、気付いたら書かなければいけない状況になっていることが最近度々ありました。

ほったらかしにしていると1週間なんてあっという間で、もうストックが切れかかってるということが良くあります。

現在、以下の3つのブログを更新しているのだけど以下のような感じです。

  • Blogger : 1年以上のストックがあり、ほったらかしでもずっと更新される仕組みだが、タイトルや内容を修正したいので、ちびちび修正している

  • Middleman(GitHub) : 1週間くらいしかストックが無い、書かないとやばい

  • Riot(GitLab) : 1ヶ月くらいストックがある、ちょっとやばい

    こんな感じなので、ほっとくとついつい忘れていてヤバイ状況に陥っています。

    ということで、ストックがなくなってきたら通知するシステムを作ることで対応しようかなと思っています。
    <br />

現在使っているSIM



0-SIM


0-SIMをメインのスマホ(iPhone5s)に入れているけど、最近、速度が遅すぎておすすめできないレベルになってきたので、おすすめできない。

0-SIMは500MBまでは無料で、8ヶ月間連続で無料を達成できたので満足。

そういった満足感があるので良いのだけど、実用性に欠ける。

Docomo回線を利用。

IIJ


IIJのSIMも持っている。こちらは普通。値段も普通だし、性能も普通で現時点では一番おすすめできる。

Docomo回線を利用。

au


auでパケ・ホーダイを契約しているSIMも一応持っている。

しかし、こちらはiPhone4sに入れていて普段使っていない。

なぜパケ・ホーダイのものをメインで使わないのかというのは、使いたくないから。

できる限り依存したくないし、いくら高性能でも使いたくないものは私は使わない。

ただ、ポケモンGoの時にはちょっとだけ使った。

さっさと解約すればいいのだけど、違約金を支払うのも癪なので、それまでの期間は予備として持っておくことにしてる。

性能や品質は全く問題ない。

しかし、大手キャリアは胡散臭すぎて、彼らとはできる限り直接的には関わりたくないと思っている。

PCデポが批判されているけど、正直、やってることは大手キャリア(店舗)と同じレベルではないかと思うことがある。まあ、儲ける企業というのは大体がやってることなので、問題ないといえば問題ないし、当たり前のことだといえば、確かにそうなんだけど、個人としては関わりたくないものは関わりたくないのである。


きっかけは何でも良かった



何かをやろうとした時、続けている時にきっかけというものはあっただろうか。

あるという人もいれば、私のようにあまり覚えていない人もいるだろう。

または、こういうきっかけがなければ、これはできないなんていう人もいる。

しかし、きっかけなんて、人それぞれなんでも良いんだと思う。

逆に何かをやろうとした時、続けたい時にきっかけ探しから始めるのは、単なる遠回りだと思う。

また、そのきっかけは本当のところなんだろうか。実は重要な要素は他にもあったのではないか。

通常、物事が動く時、それは様々な要素が複合的に絡まり合って動くものだ。それは人間にコントロールできるものとは思えない。

あなたは、今までの人生、全部自分の思い通りにコントロールできただろうか。

きっかけをコントロールすれば、人生をコントロールできるとは考えない。

そもそも目につきやすいきっかけなんてものは間違いであることのほうが多いのではないだろうか。複雑な眼に見えない因果関係の主たる要因を人間がそう簡単に特定できるとは到底思えない。

前回からのちょっとした続きはこんな感じ。おわり。


そういえばNEWGAME!も見てた



そういえば、今期はNEW GAME!も見てました。

この作品はアニメのほうが分かりやすくて好きですね。

ねねっちって、日常のはかせにちょっとだけ似てますね。サメ~


努力と鍛錬のために必要なもの



努力や鍛錬を続けるためには必要な物があり、それがなければ駄目だなどという人がいたので、それに対する個人的な考え。

何も必要ではない。

もちろん、そのために特別な資格など必要もない。

心を物質と同じ次元で考えなくても良い。

何かエネルギーがなければ動かないと考える必要もない。

確かに、体や脳を動かすためにはエネルギーが必要になる。しかし、それが不足していることは少ないだろうし、そういうことを言っているのではないと分かるはず。

つまり、努力と鍛錬のためには何かが必要で、それがなければできないなどという人のことは、あまり真に受けないほうが良いと思う。


糖質制限



私は最近、糖質制限っぽいことをしていましたし、しています、たぶん(あんま意識してないけど)。

で、私なりの糖質制限というのはどんなものか書いてなかったので書いていこうかなと思います。

私がやってる糖質制限というのは、割と緩めです。

簡単に言うと、パン類とごはん類(主に主食)は食べないようにするという感じの非常に明確なものですが、厳格ではありません。

そもそも、私の性格上、完璧な糖質制限なんてやるはずありません。

私は飛び抜けて適当すぎる性格だし、細かいことなんて知りません。

したがって「これは糖質あるのかな、炭水化物はどうなんだろう」なんてわざわざ調べるはずないです。そんな面倒なことはしません。

なので、私の糖質制限というのは、もっぱらご飯(白米)は食べないようにしようというものに過ぎません。

他のものについては食べてますし、糖質があるかないかなんて調べてませんし、知りません。

このように白米やパンを食べない日を1週間のうち5日くらいの割合で続けていますが、これらを食べていた時と比べると、調子はちょっとだけいい気がしています。

おわり。


食べる順番



健康関連で重要なものの一つに食事があると思います。

これについての個人的な考えを述べます。

私が最も最初にやるべきことなのは、食べる順番に気をつけることかなと思っています。

具体的には、野菜や味噌汁などから食べ始めるということです。

ちなみに、私は野菜と言っても全く味付けせずに洗って生で食べます。またはそういう食べ方を好みますし、料理を好みます。この際、最低限、食べやすい大きさにカットする事はありますが、他には何もしません。おすすめの食材はニンジンです。

このような食べ方は好みの問題などがあります。一つは私はシンプルなものが好きなのであって、あまり味付けとかトッピングとかは好きではないのです。ドレッシングやマヨネーズは一切付けませんし、付けたくありません。おいしくないんですよね。もともと野菜はおいしくないのですが、それがさらにまずくなるというかそんなふうに感じます。

次に、野菜を例えば煮込みますとビタミンが溶け出します。その他のミネラル成分なども同じです。料理って、基本的にはおいしくなるものの、栄養素(健康のために重要な栄養素)をそげ落としてしまうことが少なくないと私は考えています。

まあ、そんな感じで、野菜を煮こむのも何か味付けするのも、基本好きではないのです。

で、ダイエットなどは食事の順番に気をつけるだけでも相当効果があるんじゃないかというのが個人的な考えです。

ちなみに、食べる気がしなくなったら残しましょう。無理して食べる必要はないというのも個人的な考えです。勿体無いかもしれませんが、健康を損なってまで無理して食べる必要はないと思います。もったいないと思うならその失敗を糧に自分が食べられる量を知る努力をしていけば、適切な判断ができるようになってくると思われます。

逆に、なにもしないで料理が出てくる環境というのは結構危険だと思っています。それは丁重にお断りするか、もしくは自分が食べられる量を予め伝えておきましょう。

そうはいっても自分が考えた適切な食事ができないというのであれば、他人がやることは一切無視しましょう。その人はあなたの健康や考えは理解しておらず、それを損なおうと考えているだけなのかもしれません。

ここで伝えたいのは、食事には順番が大切で、それを自分でコントロール出来ない環境であれば、そこから抜け出す必要もあるかもしれないということです。

もちろん、このやり方が合わない人もいるかもしれません。

したがって、1週間くらい順番に気をつけて食べてみて、効果がないようならやめればいいと私は思います。

とりあえず、私の個人的な考えは、食事の内容も重要だけど、それよりも食べる順番のほうが重要かもしれないということです。

そして、食べる順番は、健康に良さそうなものから食べましょうということです。

ちなみに、私は特別健康体なわけでもないし、ダイエットしているわけでもありません。むしろ、ちょっと太めで体重も重いかもしれません(自分では平均だと思っているけどよく分からん)。したがって、私の言うことはかなり当てになりません。

ただ、考えていることとしてはこんな感じ。


2016Q3アニメの視聴予定



2016Q3(10-12月)のアニメは何を見るかはあまり決まっていなくて、その前のQ2(7-9月)はいつもより見ているのが少なかったので、これからどんどん少なくなっていきそうな気配がしている。

Re:ゼロは見ていた。けど、他はあまり思い出せなくて、最初はこの美を見ていた気がするけど、いつの間にか見なくなってた(漫画は全巻買ったのでそのためかも)。

2016Q3は夏目友人帳があるらしいので、それを見る予定。

このアニメは結構面白くて、リアルタイムでは見ていなかったけど、アニメにハマってから全部見た作品の一つ。


Re



Re:ゼロは1期終わりごろから面白いと評判だったので、その頃から見るようになってた。面白い。

ただ、それ以外、特に書きたいことはないなあ。

あえて言うなら、スバルはあれほど強大なチートを持ちながら、なんでああしないんだろうという疑問はある。

なんであれほどのチート能力を具体的に把握しようとしないのか?、なんで検証しないのか?、なんで痛みを痛みのままにしておくのか?などなど。そこから派生して、最終的には能力の使い方に至るまでの疑問はある。スバルは行き当たりばったりに能力を使っているようにしか見えない。だからこそ、あらゆる意味で情報が足りていないように見えるし、それを補おうともしていない所は、少し疑問があったりする。「なんでこうしないんだろう?」と。

確かに、現実的には難しいこともあるのだろう。ただ、あれほどのチート能力においては、やり方はいくらでもあるような気もする。

また、スバルの能力というのは、嫌いな人間を確実に殺せる能力でもあって、その意味でも私は相当なチートだと思っている。

例えば、魔女教との戦いについても、それ以外の戦いについても、私はあの世界では、生き残り合戦のようなものに見える。つまり、どちらが正しいかというような話ではなく、どちらが先に相手を殺すか、殲滅するかという話な気もしている。

その生き残り合戦で相当有利な能力、破格的な能力が死に戻りだと思う。

ただ、そんな能力だからこそ、彼のような人間に与えられて本当に良かったとも思っている。

なまじ賢い人間なんかにあの能力が与えられていたらと思うと、ゾッとしたりもしたので、その点で、スバルは評価できると思った。




英語が読めないと辛い



最近、アニメの話題などもMyAnimeListやRedditから拾ってくるようになり、英語を読めないとかなり辛い状況になっている。

iMAL : https://itunes.apple.com/us/app/imal/id586396813

PocketMAL : https://play.google.com/store/apps/details?id=com.g.pocketmal

でも、そんな時、英語を読んでいる暇はない事が多く、どうしようかと思っている。

コードを書いている時、ドキュメント(英語)を見はするが、とりあえず動かすことが重要になるので、翻訳にかけて必要な部分のみ理解し、動かして、多少コードを書き換えて、動かして、プログラムを理解していくという流れになるんだけど、こういう時、英語を読んでいる暇は全く無いし、読む気にもならないことが多い。

アニメの感想(英語)も同じで、内容をいち早く理解したいので、英文をじっくり調べながら読むという機会がないというか、やる気が無いことが多い。

しかし、それでは早く正確に英語を読むことは出来るようにならないだろう。

はじめは時間をかけないと、英文を読む時間を短縮できるはずもないので、その辺がジレンマだったりする。

そんなことを思ったのでした。おわり。


また変な記事が出てきた



自分のブログを読んでいて、また変なの(記事)が出てきたなあと思いながら読んでいた。

自分がどれほど無頓着かについて書いた記事だったが、確かに、相当無頓着であることは間違いない。

ただ、補足として、自分も気になることは多少あり、それは主に、誰かが何か自分のことで気にしているような時だった。

例えば、ダイエットをしていて体重が何キロだとか書いている人がいれば、「あれ、自分の体重ってどれくらいだったかな」と思い、測ってみることが何度かあった。

まあ、それでも私はそれを覚えているのがせいぜい2,3日くらいで、後は忘れてしまうと思われる。

このような性質で困ることといえば、例えば、靴だ。

新しい靴を買う度に、自分の靴のサイズを調べてるので、こういった面倒なこともある。

いや、記憶の定着方法について説教されたいわけではない。

例えば、何かと関連付けをすれば覚えやすいだろうし、寝る前と起床後に繰り返せばそれは覚えられるだろう。また、常日頃からどんなことでも記憶したいとそう考えていたら、覚えられただろう。

ただ、まあ、そんなくだらないことを気にしている暇があれば、私なら他のことをしたいとそう思うだろうし、そういうのも含めて、これも私の一種の性格なのだろうと思うので、このような欠点については、割りとほったらかしたままなのだと思われれる。


Rewrite-8



8話が面白いという話が出てたので、そこそこ見てみたら面白かった。


最近、fishが流行りだしている件



私がzshを使い始めた頃から、既に一部でfishを使っているユーザーを目にしていた。

それが何故か最近、急にfishが注目を浴びているので、びっくりしている。

fishは次世代シェルと言われていて、主にインターフェイスがカラフルな印象があったりするが、実際どうなのかは知らない。

色々とスクリプトが書きやすくなっている感じだと思われ、しかし、他シェルとの互換が乏しいのがデメリットだと思われる(すべて憶測ですが)。

正直、移行するのは面倒なのでしないと思うけど、一応使えるようにはなっておきたいので、触ってみようかな。