評価をする側と評価をされる側



私は基本的に評価をする側よりも評価をされる側のほうがレベルが高いとそう思っている。

なぜなら、実際に行動することよりも、口で言うだけのほうが簡単なことが多いからだからだ。

しかし、評価をする人間も時には必要で、かつ重要な役割を担っているとも言える。つまり、どちらも必要なのだと思う。

私はどちらかと言うと「評価をする人間よりも、評価をされる側の人間になれ」という主張を強く持っている。

ただ、これについては私の正確な主張とは異なるので、私の正確な主張について少しばかり説明する。

人間、評価をする側と評価をされる側に確定的絶対的に分かれていることなんてあるだろうかという疑問がまずある。

この点、通常は一人の人間でも評価をする側に周ることもあれば、評価をされる側に回ることもあるだろう。

要はどっちもなのだ。

ここで、評価をされる側の立場を全く考えずに言いたいことだけ言って終わりという人も中にいる。

それが必ずしもマイナスに働くとは限らないが、私はどちらかと言うと、そういう人は苦手である。

いや、苦手という表現も正確ではなく、感じたとおりに表現すると、そういう人達は世の中を息苦しくしているんじゃないかと思うことがあるのだ。

私は息苦しい世の中はあまり好きではないのだ。疲れるし、疲れるし、生産性を落とすだろうし、何より楽しくない。

したがって、評価する側には、評価される側にある程度配慮した物言いというものは大切だと思っている。

この記事で何が言いたかったのかというと、「もしあなたが評価される側の人間だった場合、あなたのほうがレベルは上なので、自信を持って欲しい」ということと、そして、「もしあなたが評価する側の人間だった場合、あなたは評価される人間よりレベルは低い。そのことを頭に入れて評価するようにして欲しい」ということだろう。

こう考えれば、世の中の息苦しさも少しは緩和されるだろうと思われる。

まあ、私の価値観によると、レベルなんて存在せず、社会的に偉い人であれ、そのへんのおばさんであれ、みんな同じようにしか見えんのだが。しかし、人は私を含めて傲慢に陥りやすく、かつ劣等感に苛まれやすいので、上のような姿勢を紹介した。おわり。